嵐牛 蔵美術館 RANGYU MUSEUM OF ART
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芭蕉翁肖像画
奥の細道とは
白川田植え歌
義仲寺の法事
三十六俳仙
特集 旅: 1 2 .3
「奥の細道」の手引き
「奥の細道」とは何か
今から300年ほど前、元禄2年(1688年)、旧暦3月27日(新暦5月18日)に、
当時46歳であった芭蕉は門人の曽良とともに、江戸深川の芭蕉庵を後にし、
東北・北陸の歌枕、名所・旧跡を巡り歩く旅に出た。
この旅はその年の旧暦8月20日(新暦10月3日)までの約5ヶ月間に渡り、
その距離は約2万3千キロメートルにも及んだ。
この旅をもとに書かれたのが、紀行『奥の細道』である。
マスメディアの先駆者としての芭蕉
五七五の一七音を、弟子を通じて口コミという方法で全国に広めた。
江戸時代は寺子屋の普及により、識字率が非常に高くなった時代であり
書物としての『奥の細道』は、多くの写本も作られた。
金銭にゆとりの無い向学心に富む人たちが、原本を書き写したのである。
また俳句により日本語の統一に寄与した。
『古池や蛙飛びこむ水の音』 世界的に有名な芭蕉の句
An old quiet Pound….
A frog jumps into the pond.
Splash ! Silence again.
旅の連歌師(職業的指導者)・俳諧師の代表としての伝統・家元
西行・宗祗(漂白の詩人)を慕って旅に出た芭蕉も、
旅の連歌師の伝統を抜きにしては考えられない。
士農工商という身分がまだ定着していない時代であり、
人々の感性は解放されていた。
江戸時代の自由人・文化人
当時は武士や農民が自由に旅行する事が出来なかった。
手形や紹介状が取れないなどの制度上の問題があった。
僧侶や俳諧師・囲碁師などの当時の自由人・文化人は、
僧形をとることで、自由を保証されていた。
■主な参考文献■ ダイヤモンド社刊「奥の細道」著者品川嘉也氏
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